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先日、日曜日の夜にスーパーに買い物に行った。
何が必要だったわけでもなかったんだけど、なんとなくスーパーに行こうと思い立って、 それ以外に特にするべきことも見当たらなかったのでイトーヨーカドーに出かけた。 特に何を買いにきた訳でもなかったわけだから、 特に買うものがある訳でもないのも当然といえば当然で、 でもせっかく足を運んだのだから何も買わないのもなんだろうと、 お茶とシリアルと牛乳をカゴに入れて、 なんとなく買い物らしくなったような気分になって、 よしじゃあ帰ろうかとしたところで、缶詰コーナーが目に留まった。 その時に「恋する惑星」というややキザくさい映画の中で、 主人公が自分の誕生日に賞味期限の切れる缶詰を買い続けるという一節があったのを思い出した。 缶詰コーナーの前までいってみるといろんな缶詰がある。 魚の缶詰、牛肉の佃煮、コーン、ホールトマト、そしてフルーツ缶。 どれもだいたい2〜3年程度先が賞味期限として設定されていて、 その数字が僕に先のことを考えさせる。 2〜3年後にいったい僕は何処で何をしているんだろう? でもそう思った直後、いやそうじゃない、と思った。 僕が考えるべきは、2〜3年後にいったい僕は何処で何をしているかではなくて、 2〜3年後にいったい何をしていたいのか、である。 ![]() それを考えた結果、今の自分に賞味期限をもうけることにした。 再来年の春に賞味期限のくる缶詰と、3年後の春、2008年の2月に期限の切れる缶詰をかった。 そして家に戻って、テーブルの上におく。 そして期限の枠内のなかで、やるべきこと、学ぶべきことを一切学びきることにする。 コークはコーク、どれだけ金があっても 街角のホームレスが飲んでいるものより美味しいコークなんて買えない。 アンディ・ウォーホール これはアンディ・ウォーホールが残したとされる言葉だ。 この発言の社会的是非についてはやや議論の余地はあるかもしれないが、 幸福あるいは充足・豊かさといったことを考えるに際して非常に大事なポイントをついている言葉である。 そのポイントとは、幸福とは常に”通常”との格差によってのみ存在しうるということである。 しかし、これは私の個人的な意見でしかない。というのも、「”通常”との格差」などというものは非常に観察可能性に乏しく、またその”通常”という言葉にあるその通常性といったものも、個々人によって変化するものであり、また同じ個人であっても時間の経過とともに変化しうるものだからである。「”通常”との格差」というものを明確に定義しようすること難しい。それは我々がよく日常と非日常といったことに言及し、そのふたつを区別しようするものの、いざその線引きを明確にしようと試みるとまったくもってうまくいかないことと同じである。どこからどこまでが日常で、どこから先が非日常であるのかの線を引くことは非常に難しいことである。ましてやそれが万人に通じる、そして全時代に通じるような普遍的な線引きとなればことさら難しい話になってしまうのである。 やや脱線してきたが、話をもどそう。 とにかく、これは私の見解にすぎないが、幸福とは通常との格差によって存在するものである。そして、おそらく同じような信念を持っている人は少なくないだろう。そこまでは皆同じように感じているところであると思う。そして問題はこれから先なのだ。 その問題とは、我々は幸福であるためには不幸であることがりより望ましい、という点である。これに対して、何も不幸でなくても、より新しい幸福を追求し続ければよいではないかという意見があるだろう。これは尤もな意見であるように聞こえるが、大事なポイントを忘れている。確かにより大きな幸福を追い求めることで、われわれは満足していくことができるかもしれない。しかしながら、その過程で幸せと感じられる対象が次々に減っていくのもまた事実である。つまり我々の幸福可能性は幸福であろうとするたびに減っていくのである。 コークはコークでしかないのだ。 だからもし我々がコークを美味しいと感じること、そこにある幸せを感じ続けるためには、我々はコークに飢えてなければならないのだ。喉を潤す飲み物にも、甘いものにも、そしてコークそれ自体にも充足している我々の多くにとっては、コークはもはやそれほど幸福を与えてくれるものではないのだ。 それはコークが美味しくなくなったからではない。我々がコークに美味しさを見出せなくなったからなのだ。 潤いを感じるためには渇いてなければならないのだ。 そして幸福であるために、我々はハングリーでなければならないのだ。 そんな幸福のパラドックスを抱えたまま、生きていくしかないのかも知れない。
たった三日間の休みだけれど、一応は夏休みということだから、
あの子と一緒にちょっぴりどこかにお出かけしようということになった。 車を借りていくのも良いかとも思ったけれど、 渋滞にはまりたくはなかったし、起きたのがお昼くらいになってしまったから、 電車でちょっとおでかけくらいの気分で行くことに。 何となく奥多摩の方へ行きたくなって、 立川から青梅線に乗り換えて、なんとなく降りたくなる駅を探す。 そして降りたのは東青梅。 ふらふら上ったり下ったり、くだらない話をして笑ったりしながら たどり着いたのが「夏への扉」でした。 何かを狙う訳でもなく、ただ好きにやっていたらこうなったというような、 飾らない、にじみ出た味わいのある素敵なお店でした。 主人が素敵だと、お店も素敵なものです。 犬も歩けば棒に当たる。 素敵な扉を開けられた、いい夏休みになりました。 またカレーを食べに行こう。 ![]()
「夏は、夜。月の頃は、さらなり。」
枕草子にある、名言である。 心の底から賛同する。 夏のよるほど気持ちのいい季節はない。 そしてそんな気持ちのいい夜に、とても心地のいい音。 Polarisがいいタイミングで新しいアルバムをリリースしてくれました。 Polaris / Union ![]() 1.はじまるまえのしずかなとき 2.It's all right! 3.コスモス(Album Version) 4.月の恋人(Album Version) 5.ひかりのさすほうへ 6.Fast & Slow 7.蓮華〜はなうた 8.君と日々 9.存在 10.蓮華〜アストロ・ニュース 11.渚へカーブ
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